カテゴリー: 自己紹介ブログ

  • 第5話

    第5話

    認めながらも、割り切れなかった若き日のプライド

    今なら、あの倉庫の哲学者たちの生き方を「本質的だ」と100%肯定できます。 テレビの健康法に振り回されてスーパーのバナナを買い占めるような連中より、よっぽど彼らの方が自分の足で立っていた。メディアの情報に踊らされず、自分の心身のストレスを基準に生きる彼らは、ある意味で究極に正直だったんです。

    けれど、当時の私はそこまで割り切れませんでした。

    学生時代は家庭教師なんかをやって、それなりの時給を稼いでいた自負もあった。 「自分は社会の一員として、ちゃんと稼いで、まともな生活を送るべき人間なんじゃないのか?」 そんな違和感が、どうしても消えなかったんです。

    「自由はいい。でも、このまま終わるわけにはいかない」

    何より、当時はまだ若かった。 異性に興味だってあるし、人並みに格好もつけたい。金がないことがどれほど惨めなことか、身に沁みてわかってしまったからこそ、「もう一度、ちゃんとやり直したい」という欲求が湧き上がってきたんです。

    倉庫の彼らが選んだ「脱・社会」の心地よさに惹かれつつも、一方で「社会の中で勝負したい」という未練が、私を突き動かしました。

    結局、私は一度仕切り直すことを決めました。 プライドを捨てて、実家に頭を下げて帰る。 それは、私にとって「敗北」を認めるような、ひどく苦い決断でした。

    情報の濁流に流される大衆でもなく、かといって世捨て人にもなりきれない。 その中途半端な自分が、一番苦しかったのかもしれません。 でも、この時の「足掻き」があったからこそ、私は後の人生で、自分だけの「職人の道」を模索し始めることになります。

    こうして私は埼玉の倉庫を去り、再び故郷の土を踏むことになったのです。

  • 第4話

    第4話

    倉庫の哲学者たち:レールを外れた先で見つけた「別の答え」

    さて、第4回です。真冬の埼玉、インフラ皆無の倉庫生活。 最悪の状況ではありましたが、実を言うと、そこで私の価値観は一度コテンパンにぶっ壊されました。それは、ある意味で「良かったこと」でもあったんです。

    その倉庫の周りには、私と同じように、あるいは自ら進んでその境遇を選んでいる人たちが何人かいました。「新聞の臨時配達員」と呼ばれるプロフェッショナルたちです。

    彼らは正規の配達員が休んだ時に代わりを務める、いわば助っ人。エリアを問わず完璧に配り切る腕を持ち、待遇も正規よりいい。でも、普段は働かない。住む場所も、私と同じようなインフラのない倉庫の2階だったりするんですが、彼らはそれを何とも思っていないんです。

    「一番良くないのはストレスだよ。住む場所や相手を選ぶのが、一番大事なんだ」

    彼らはそう言いました。世の中にはいろんな健康法があるけれど、そんなものより「ストレスを溜めない生き方」が最強なんだと。

    大学へ行って、レールに乗って、必死にお金を稼いで……それが正解だと思っていた私にとって、彼らの生き様は対極にありました。 「生きるために必要な分だけあればいいじゃないか」 今ならよく分かります。足るを知る、ということです。

    自然界の動物を見てください。彼らは生きるために死に物狂いで食事を獲りますが、必要以上に他人の分まで奪おうとはしません。人間だけが、自分の取り分があるのに、さらに他人の分まで欲しがって争いを起こす。

    倉庫の彼らは、それを分かった上で、あえてその「不自由な自由」を選んでいた。 そんな彼らに連れ回された2週間は、今までの学校生活では絶対に出会えなかった「違う世界」との遭遇でした。

    勉強して、良い成績をとって、社会のレールに乗る。そんな人たちとしか付き合ってこなかった私にとって、倉庫で出会った彼らの哲学は、後の私の人生——DIYやAI、そして武術を通じて「自分の足で立つ」ことへの、最初の種火になった気がします。

    結局、この後私は一度実家へ帰ることになるのですが、この2週間の記憶は消えることはありませんでした。

  • 第3話

    第3話

    「倉庫」から始まった、私のホームレス生活

    さて、話の続きです。最初の新聞販売店での搾取に嫌気がさした私は、別の会社へ移ることにしました。 具体的な名前は伏せますが、夕刊のない、朝刊だけの新聞社系です。「ここなら自分の時間が取れる、やり直せる」……そう信じてアポを取り、引っ越しの手配も済ませました。

    ところが、埼玉の受け入れ先に到着した瞬間、耳を疑うような言葉が飛んできたんです。

    「え? 寮の手配? 聞いてないよ。受け入れの連絡も来てないけど」

    いやいや、勘弁してくださいよと。こっちは家を引き払って、冷蔵庫から何から、フルセットの家財道具をトラックに積んでここまで来てるんです。今さら「手配ミスでした」で済む話じゃない。

    「部屋はない。あるのは倉庫だけだ。……そこに荷物と一緒にいろ」

    結局、行き場のない私と大量の荷物は、販売所の隅っこにある「倉庫」に押し込められることになりました。 部屋じゃありません、ただの倉庫です。

    時期は真冬。東京から埼玉にかけての、あの刺すような冷え込み。 倉庫ですから、当然のように隙間風が吹き抜けていく。暖房なんて夢のまた夢。照明は申し訳程度に薄暗い電球がつくだけ。

    水道もない。ガスもない。インフラというものが一切存在しない空間。 そこに、私が持ってきた冷蔵庫や家財道具が、電気も通らぬまま虚しく並んでいる。

    「ホテルにでも泊まればいいじゃないか」と思うかもしれませんが、そんな金があるなら苦労はしません。 選択肢なんて最初からなかったんです。

    暗くて寒い倉庫の中で、自分の荷物に囲まれながら震えて眠る。 1週間が過ぎ、2週間が過ぎ……。 国立大学を中退して「すごい世界」を夢見て東京へ出てきた若造の現実は、ただのホームレスへと成り下がっていました。

    この「インフラ皆無の生活」が、私の体に何を刻み込んだのか。 次回、その極限状態での気づきについてお話しします。

  • 第2話

    第2話

    「東京に行けば、何かがある」と信じて飛び出した結果

    大学を続けるのが嫌で嫌で仕方なかった当時、私の目を惹いたのは本の中の世界でした。 自分の知らない、もっと「すごい世界」があるんじゃないか。その一つが武術の世界でした。

    どうせ教わるなら、その世界のトップクラスに教わりたい。でも、そういう先生はだいたい東京か大阪にいる。 当時はインターネットなんてないし、SNSもない。情報は本やテレビしかない時代です。今みたいに指先一つで情報が取れる時代じゃなかった。

    「だったら、東京に行くしかねえじゃねえか」

    そう決めたはいいものの、金なんて一銭もないわけです。 住む場所と仕事、それらを同時に確保するために私が選んだのが、当時の「新聞奨学生」という制度でした。

    親からは当然、猛反対されました。せっかく国立大学に入れたのに、それを中退して新聞配達だと。 でも、もう「これは私の人生だ」と押し切るしかなかった。親には申し訳ないと思いつつも、東京へ飛び出したんです。

    「約束と、話が全然違うじゃないか」

    東京に着いて待っていたのは、あまりにも残酷な現実でした。 聞いていた条件とは似ても似つかない。朝刊を配ればあとは自由な時間があって、お金もそこそこ貰える……そんな甘い話じゃなかった。

    朝刊が終われば夕刊の配達、さらには集金、挙句の果てには新規購読の営業までやらされる。 自由な時間なんてどこにもない。丸一日拘束されて、手元に残る給料は世間のサラリーマン相場から見ても「これ、どうなんですか?」というレベル。

    完全に計算が狂いました。 「こんなはずじゃない」と、条件を求めて別の販売店へ移ったんですが、そこはもっと酷かった。

    自分の手で人生を掴もうとした結果、さらに深い泥沼に足を突っ込んでしまった。 若さゆえの無鉄砲さと、世の中の理不尽さが、私をどんどん追い詰めていったんです。

    さて、ここからどうやって道端に放り出されることになるのか。 2回目はこんな感じでいいですかね。次は、その「もっと酷かった場所」での顛末をお話ししましょうか。

  • 第1話

    第1話

    「理想の人生」という名の絶望について

    私がホームレスになった時の、そもそもの発端の話です。 実は私は学生時代、不運にも交通事故に遭いました。長引く松葉杖生活を強いられ、身体の自由が利かないまま浪人生活を送り、ようやくの思いで国立大学へと進学したんです。

    しかし、苦労して入った大学の授業には、1ミリも興味が持てませんでした。 特にドイツ語とかね。いや、いつ使うんですかと。 事故や浪人という代償を払ってまで手に入れた場所が、自分の貴重な時間やエネルギーを注ぎ込む価値のないものに見えて仕方がなかったんです。

    「自分が興味のあることを探究する場所」だと思っていたのに、実態はただの単位取りゲーム。 周りの連中を見ても、「あの先生の授業は単位が取りやすい」とか、そんな基準で授業を選んでいる。国立大学と言ったって、結局はそのレベルなんです。

    当時は、尾崎豊の『17歳の地図』の歌詞にあるような、「何のために生きているのか解らない」という漠然とした、それでいて逃げ場のない焦燥感の中にいました。 これをあと3年も続けるのか、それを終えた先に何があるのかと考えたら、もう絶望しかなかったわけです。

    「サラリーマンとして働いて、結婚して、中間管理職になって、定年退職して、死ぬ。……絶望的なことに、それが『理想の人生』だと書いてある」

    後になって、当時ベストセラーだった『完全自殺マニュアル』という本を手に取ったとき、そこに書かれていたこの一節を読んで衝撃を受けました。「だよねぇ……」と。 学生時代に自分が感じていた、あの正体不明の「無意味さ」を代弁してくれているかのような言葉でした。

    「働いて、働いて、じゃあその先に何があるんですか? いずれ死ぬだけじゃないですか」 事故で身体を壊し、必死で勉強してレールに戻った結果がこれなのか、という虚しさ。社会のレールの上を歩んでいるうちは気づかない。でも、一度気づいてしまった人間にとっては、これほど恐ろしいことはない。

    同級生たちが学生生活を謳歌している横で、交通事故の後遺症を抱えた私は、その輪に入ることもできず、ただただ尾崎が歌ったような「出口のない孤独」と向き合っていました。

    もともと人付き合いも上手くないし、好きでもない。 今、こうしてFIREして一人でいても、寂しいどころか「やれやれ、せいせいした」と思っているような人間ですからね。

    そんな冷めた視線を持った若造が、どうやってレールの外側へ転げ落ちていったのか。 少し長くなったので、ホームレス生活の実態については、また次回書こうと思います。