さて、最後は「格闘技」について。誤解のないように言っておきますが、私は格闘技を全く否定していません。実際にお付き合いのある選手たちのレベルの高さ、あの「レベチ」な身体能力には、心からリスペクトを置いています。
ただ、格闘技というのはあくまで「ルールがある世界」の話だという認識を、私たちは持っておく必要があります。
「最適化」された限定的な勝利
ボクシングならパンチだけ、1対1、決められた時間。その枠組みの中でどう勝利するかを極限まで突き詰めた結果が、あの素晴らしい技術なわけです。
でも、武術にはルールがありません。闇討ちもあり、多人数もあり、武器もあり。対して、格闘技はルール以外のことをすれば「反則」になる。ここが決定的な違いです。
私が格闘技のリングに飛び込んだら、間違いなく瞬殺される雑魚でしょう。
けれど、日常生活においてその「強さ」が必要かと言われれば、私の目的には合致しないんです。
けれど、日常生活においてその「強さ」が必要かと言われれば、私の目的には合致しないんです。
「相手を倒すため」ではなく「自分を整えるため」
今の社会、気に入らないからといって殴りかかるなんてことは許されません。そんな世界で、相手を叩きのめす技術を真剣に追い求めることに、私はあまり価値を感じない。それは私が定義する「強さ」ではないからです。
ただ、稽古の中でパンチを打ったり、格闘技的な動きを確認したりすることはあります。でもそれは、相手を倒すためじゃない。
自分の姿勢が崩れていないか、状態が整っているか。それを検証するための「テスト項目」として、格闘技の要素を使わせてもらっている。そんな感覚なんです。
効果的な打撃が打てないということは、自分の身体操作に不備があるということ。そのバグを見つけるための「デバッグ作業」として、私は格闘技的な技術と向き合っています。
目的はあくまで、日常を平穏に、自分の足で立ち続けること。 誰かと競い合う「最強」の称号よりも、自分の中の「最適」を淡々とメンテナンスしていく。
これが、職人であり武術家である私の、格闘技に対するスタンスです。
