2016年以降、情報は「個別最適化」され、私たちは見たいものしか見えない檻の中にいます。選挙や歴史認識で対立する前に、武術の稽古で知る「自分の感覚の危うさ」を自覚すべきではないか。50代、組織を降りた職人が語る、情報の正体と生存戦略。
AI活用の勉強会でもお伝えしましたが、今の世の中、本当に「話し合い」が成立しなくなっていますね。理由は単純です。2016年を境に、スマートフォンの普及で私たちが受け取る情報は徹底的に「個別最適化」されるようになったからです。
これは便利と言えば便利ですが、本質的には「情報格差」という名の檻ですよ、全く。自分で意図的に取りに行かない限り、あなたは「自分が好きそうな情報」のヌカ喜びの中で一生を終えることになる。
「確証バイアス」に飼い慣らされた人々
人間には「現状維持バイアス」と「確証バイアス」という厄介な性質があります。今のままがいい、自分の意見が正しいという証拠だけを集めたい。スマホのアルゴリズムは、この性質をこれでもかと甘やかしてくれます。
他人のスマホを覗いてごらんなさい。流れている情報が、ギョッとするほど自分と違いますから。ここまで違えば、そりゃ話し合いなんて噛み合いませんよ。そこで「あれ、自分が見ている世界は偏っているのか?」と冷静になれるのか、それとも「私は正しい!」と突っ走るのか。ここで今後の生き方が分かれるんでしょうね。
選挙、歴史、天皇。私たちは「何も知らない」
最近の選挙戦もそうです。参政党の「創憲」を「改憲だ!」と叩く人がいますが、本当に相手の言い分を聞いた上での反応ですか?私にはそうは思えませんね。ただのレッテル貼りの応酬でしょう。
そもそも、歴史認識だの天皇の問題だの、私たちは一体「何を知っている」というんですか?学校でそう教わった、ネットでそう書いてあった。それだけでしょう。明治維新だって、私に言わせれば単なる「クーデター」ですが、事実なんて私が見たわけじゃないから分かりません。会ったこともない存在について、なぜそこまで熱く、他人の足を引っ張ってまで語れるのか、私には理解に苦しみます。
武術が教えてくれた「自分の認知」のデタラメさ
私がなぜこうも「正しさ」に冷淡なのか。それは武術の稽古をしているからです。
武術の世界では、ほんの指先の角度、重心の数ミリの移動で、結果が劇的に変わります。自分が「正しい」と思って動かしている身体が、実は全く制御できていない。その残酷な事実を嫌というほど突きつけられるんです。
「自分の感覚や認知がいかに危ういか。それを知れば、他人と正義論で揉めることがいかにアホらしいか分かります」
これからは「類は友を呼ぶ」で、似たような人間同士の縁がどんどん濃くなっていくでしょう。だからこそ、自分の檻を自覚しなきゃいけない。泥臭く、現場で、自分の手と足を使って確かめたこと以外は、全部「かもしれない」でいいんですよ。









