武術創造 DIY・AI研究所
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「武道」における「守破離」の解釈

武術の話に続いて、じゃあ「武道」とは何なのか。言葉の通り、武術という体系を「続ける道」のことです。ただ、現代においてこの「武道」という言葉が指しているものには、少し思うところがあるんですよね。

今の武道の世界って、多くの場合「形が決まってしまっている」んです。何々流派の先生が言ったやり方を、そのまま忠実に続けることが正しいとされている。でも、よくよく考えてみてください。

100人いれば、100通りの「道」がある

それ、先生にとっては「道」だったかもしれませんが、あなたにとっても同じ道であるはずがないんですよ。100人いれば100通りのやり方がある。生まれも育ちも、体格も環境も違うのに、なぜ同じやり方が全員にとっての「最善」になるんですか。

今の武道の世界では、違うことをやれば怒られます。「先人がやった通りにやりなさい」という空気が支配している。もちろん、何も分からない初心者がガイドラインとして教えを守るのは非常に重要です。でも、問題は「それがいつまで続くのか」ということです。

教えを守るだけの状態から、いつ「自分」に戻るのか。
そこが抜け落ちているのが、今の武道の現状ではないでしょうか。

「守破離」という言葉の、本当の意味

よくビジネスの世界なんかでも「守破離」なんて言われますけど、あれ、本来の概念とは少し違って伝わっている気がします。

本来の「守」は教えを守ること。そのうちに、それが無意識にできるようになる。すると、今まで意識しないとできなかったことが当たり前になり、余計な癖が消えていく。これが「破」。そして、最終的に「意識」そのものがその動作から離れていく段階が「離」なんです。

つまり、守破離とは「先人のコピー」を卒業して、技術が自分の血肉となり、意識しなくても自分の一部として機能するようになるプロセスのはずなんです。

でも今は、先人の形をなぞり続けること自体が目的になってしまっている。「目的がこうなら、こういうやり方もありじゃないか」と新しい工夫を持ち込もうとすれば、即座に否定される。

それはもう、生きた「道」ではなく、ただの「形骸化した伝統」ですよね。本来、武術を自分自身の人生に活かし、続けていく道こそが武道であるべきなのに。

道具も技術も、自分の身体や目的に合わせて作り変えていく。その「職人的な探求心」を忘れた武道は、ただの懐古趣味に過ぎないんじゃないかな、と私は思っています。