「いつ、何のために使うのか」なき技術は、ただの重荷でしかない。
近年のAIの進化には、私も日々感動しています。かつては専門技術が必要だった綺麗な画像生成、スライド作成、ホームページ構築……。これらが短時間で、しかも驚くべきクオリティで仕上がる時代になりました。
しかし、講師として多くの方にAIを教え、また自身でも使い倒す中で、どうしても拭えない違和感があります。
「で、それはいつ、何のために使うのですか?」
この問いに対する答えを持たないまま、次々と現れる新サービスやバージョンアップ、追加機能の波に必死に飛びついている人があまりにも多い。新しい情報を追いかけ、技術を習得すること自体が目的化してしまい、肝心の「自分の生活がどう楽になるのか」「人生の何が解決されるのか」という視点が抜け落ちてしまっているのです。
技術を追うだけの「終わりのないマラソン」
新機能に驚き、それを覚える。また新しい波が来て、必死に追いつく。この繰り返しは、一見前進しているようでいて、実は同じ場所で足踏みしているのと変わりません。情報は増えても、生活の実感としての「豊かさ」や「自由」は少しも増えていかない。
本質は、そこではないはずです。
AIは、これまで私たちが苦労して習得してきた「技術的な難易度」を、あっという間に無力化していきます。だからこそ、今私たちが最も大切にしなければならないのは、AIが上手に描いた「綺麗な見た目」ではなく、「自分は何をやりたくて、そのためにどうAIを道具として使い倒すのか」という、使い手側の意志です。
かつて大工や設備管理の現場で学んだのは、道具は「使うためにある」ということ。切れ味の鋭いノミを持っていても、どんな家具を作るかが決まっていなければ、それはただの危ない鉄の塊です。
最新の知恵に振り回されるのは、もう終わりにしませんか。
大切なのは、技術のカタログを暗記することではなく、あなたの目の前にある「ままならない現実」を、どうDIY(構築)していくか。
速すぎる技術の波から一度降りて、
「自分の手に取り戻すべきもの」を、一緒に見極めていきましょう。

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